実は、一時だけ写真家を志していたことがあります。
この関係で多くのアマチュア/プロ写真家と今も接点があるのですが、界隈で良い意味での奇抜さ・傾き(かぶき)ぶり・そして類まれなるセンスに圧倒されて、結局ここに属するのはやめてしまいました。
その当時、プロの写真家の名前もよく聞きました。
結局写真家にはなりませんでしたが、その際に得たこういったエピソードは今でも私の指針に影響を及ぼしていることもあり、あの時代は決して無駄だったとは思いません。
例えば、篠山紀信氏の生き方のこういう話。
写真業界とか専門的な人からはですよ、何言われたって、これっぽちの(小さな)ことですから。
こっちで「わーっ」て褒められたり「本が売れたよ!」って言ったほうが、全然気持ち良い訳ですよ。
出典:情熱大陸「篠山紀信」
この辺は篠山紀信さんが
「…業界とか専門的な人からはですよ、何言われたってこれっぽっちのことですから、こっち(一般人側)でワーって褒められたり、本が売れたよって言ったほうが、全然気持ち良いわけですよ」
言っておられた事が刺さっているのが大きいですかね
— Osaka-Subway.com/鉄道プレス (@OsakaSubwaycom) October 2, 2020
(2020年にも同じことを言ってた)
有名な写真家には、先に上げた篠山紀信氏の他
・木村伊兵衛
・名取洋之助
・森村泰昌
・森山大道
…などがいます。
妥協なき写真家「土門拳」
この中で木村伊兵衛と双璧をなした「土門拳」という写真家をご存知でしょうか。
彼の写真は「絶対非演出の絶対スナップ・リアリズム」がモットー。これは言うなれば、ポートレートでよく用いられる、F2.8以下のふわっとした描写はリアリズムな写真でないということを表します。
この「絶対非演出のリアリズム」は、太平洋戦争時代に国力掲揚を目的とした対外宣伝写真家としてライフワークを刻んでいた土門が、日本の敗戦によって「それらは虚飾のものだった」と痛感させられ、その反省から生まれたものなのです。
土門はそれを実現するため、モデル・被写体への徹底的なこだわりを見せます。
撮影に際し、時間を徹底的にかけようとも、モデルを怒らせようとも、決して写真に妥協しない姿勢は土門ならでは。
画家の梅原龍三郎氏を撮影する際に、あまりにしつこく撮影してくることに激怒しても、それを無視して(むしろそれを待って)撮影していた程です。
怒りに震えるその顔は、高野山金剛三昧院の「赤不動」のような、実に逞しい顔だった。実に男性的な美しい顔だった。まさに、「お山の大将」そのものの顔だった。ぼくがさがしえちた梅原龍三郎そのものが、そこに現前していた。
出典:土門拳「死ぬことと生きること」
古寺巡礼と原点
写真集「古寺巡礼(1963-)」は、そんな土門らしさを表した写真集の代表作。法隆寺から三十三間堂まで39ヵ所の古寺を巡礼しまわりました。
元々戦後の土門は、敗戦によって日本文化を一から見直していていて、その魂・源が古寺にあると考えます。そこで、奈良の室生寺にこもり、もう一度日本の原点を、アイデンティティを再考して原点に立ち返ることが重要でした。
古寺巡礼で多用された「光の鑿」と称される撮影技法は、まさに土門が生んだ妥協なき撮影姿勢の骨頂でしょう。
・レンズの絞りを限界値であるF22程度まで小さくして全体をパンフォーカスに
・そこから仏像の回りからフラッシュを炊くことで、暗闇から仏像を掘り起こすように浮き出させて撮影する
という技法。
歴史に名を残すカメラマンは、ここまでこだわるのか…と、自分とは程遠い世界であることを痛感させられたエピソードでした。
カメラと仲良くする
ところで、私は常々「カメラと仲良くするのが良い写真を撮る第一歩」と説いています。
これは、写真機のレバー・スイッチ・ボタンが無意識に動かせるレベルにまでしなければ良い写真は撮れないと信じているからです。
これは先に上げた土門拳も同じことを言っています。
シャッター・ボタンの押し方にしても、完全に肉体化するまでトレーニングしなければならないと思った。メカニズムの肉体化とは、完全に無意識に正しい方法を実践しているということだ。
土門と双璧をなした木村伊兵衛氏も、愛機のライカをさっと取り出して池田勇人総理を撮影していたそうですから、当たり前といえば当たり前ですが、カメラと仲良くするのは良い写真を撮るベター条件なのだなと感じます。
珍しく筆が乗ったので続きを書きました
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