以前の記事は意外に筆が乗り、1500文字近くも書いてしまいました。更に追記・推敲を重ねてリビジョン数も20近くになっていました。
我ながら、写真家に影響を受けた点はかなり多いと思います。
特に土門拳は、その当時の生き方に迷っていた私の指針となった写真家だけに、語りだすと止まらないようです。
そこで、当サイトでは珍しく「続」記事を書いてみようと思います。
土門の代表作
さて、土門拳の代表作といえば
・「筑豊のこどもたち」
・「ヒロシマ」
・「古寺巡礼」
あたりがやはり挙がってくるでしょうか。
筑豊のこどもたち
「筑豊のこどもたち」は、1960年代の筑豊炭鉱に焦点を当てた写真集。
2020年代の日本では考えられないような貧困さと、全てを諦めた大人たち、それとは対照的にたくましく、明るく生きていく子供達をまるごと捉えた、ドキュメンタリー的な写真集。
作中に出てくる小学4年生の「るみえちゃん(表紙写真の女の子)」は、この写真集のヒロインともいえる存在です。
父親の秀吉氏は典型的な炭鉱夫で、焼酎がなかったり雨で仕事にあぶれると、るみえちゃんやその妹(さゆりちゃん)を殴ったのだそう。
NHKでるみえちゃんのその後が放映されていたようで、作品の感想を残されているこちらの方によると、るみえちゃんは太平洋に面した港町(愛知県?)で、3人の子供を育て放映当時70代を迎えていたとのこと。
るみえちゃんにとってはこの時代は思い出したくない、忌まわしき記憶だったようで、この番組のインタビューには登場せず、るみえちゃんの長女がその後を語っておられたそうです。
土門拳記念館から撮影した写真の掲載承諾依頼が届いたものの、決して承諾しなかったとされています。
ヒロシマ
「ヒロシマ」は、原爆投下から13年が経過した広島の様子を収めた写真集。
戦後ようやく落ち着きを取り戻し始めたものの、未だ原爆症の傷跡は癒えていない時代を写した写真集です。
古寺巡礼
そして、1963年から刊行したのが、ライフワークとも言える作品である「古寺巡礼」。
これは前回もお話したように、日本の寺院を土門らしい粘り気と徹底した「非演出のリアリズム」で映し出した作品です。法隆寺から三十三間堂まで39ヵ所の古寺を巡礼しまわりました。
その心は、「日本民族の自主独立の矜持とヴァイタリティをさぐる」というもの。
詩人の高村光太郎に「土門のレンズは人や物を底まであばく」(1)とまで言わしめた徹底的なリアリズムグラフィティの集大成ともいえる作品です。
最後は「呪い」だった
写真家の世界は、「土門拳」と「木村伊兵衛」の二大巨頭が永くトップを張る時代が続きました、
もっとも木村は1974年に没した一方、土門は1979年に脳血栓で倒れ、意識不明のまま11年の歳月を眠り続け、1990年まで一度も目覚めることはありませんでした。
土門は菜食が嫌いで、もっぱら大トロや肉といったものばかりを食べていたのだそうだから、そうなるのも頷けます。
両者が鬼籍に入った歳、ある写真関係者は「やっと2人の時代が終わった」と思ったのだそうです。
それは両者の存在があまりにも大きく際立ちすぎ、後進が恐縮したり圧倒されたりでなかなか自らの道を進めなかったことを意味します。
いわば、偉大になりすぎた2人の存在は「呪い」だったのかもしれません。
関連リンク
参考文献
- 平凡社「木村伊兵衛と土門拳 写真とその生活」、三島靖
- みすず書房「土門拳 死ぬことと生きること」、土門拳
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