結局横山やすしは、春團治や藤山寛美のような歴史に名を残すよう芸人ではなく、単に自分本位で身勝手でちょっと名が売れただけの中年男性やったということか…
— Osaka-Subway.com/鉄道プレス (@OsakaSubwaycom) May 21, 2024
最近ではやしきたかじん氏もそうですが、多くの関西芸人はどこか桂春團治や藤山寛美に畏敬の念を抱いていて、彼らのように「(芸達者は当然として)金遣いが荒く、言動や行動が突飛で、それが多くの人に愛される」ことを良しとしているところがあります。
お世話になっているBEのぶさんのブログを見て以来、彼のことがちょこちょこ引っかかっていました。
1996年1月、肝硬変でわずか51歳でこの世を去った横山やすし氏について、怒るでしかし!と言われるかもしれませんが、自分なりにまとめておきます。
「大阪芸人」に甘えている
落ち目だった晩年を世話した、元山口組の幹部である竹垣悟氏はこう証言しています。
〈やすしのところへ借金取りが来た時に、“オレは中野会や”とやすしは言うとるらしい。“俺の名前を出すな”と、やすしに言うとけ〉
出典:デイリー新潮 (1)
横山やすしは、「自滅型」の人ではなかったかという。すべてが、彼自身の「思い込み」から発してくるからだ。
人生を勝ち負けだけで考えてきた男。しかし、人生勝ち続けることは無論ありえない。きよしが選挙にでて離れていったとき、やすしは四二歳。人生の設計をやり直すときでもあった。ところが、やすしにはそれができない。きよしに「負けた」と決め込んだ瞬間から、すべてをマイナスの方向で考えてしまうのだ。出典:企業年金連合会 (3)
彼の現役の漫才をリアルタイムで見ていた世代は、思い入れもあるのか「横山やすし贔屓」な発言をされることが多くみられます。
…が、全くそれらを見ていない世代から見ると、彼は中途半端というか、小物感がすごい中年男性にしか見えないんです。
春団治・藤山寛美の作った「豪快な大阪芸人のイメージに甘えていただけ」では…と思えるほどに。
やっさんだけは桂春団治と同じぐらいみんなの記憶に残って永遠に語り継がれるタレントになるだろうと思っていたけど、もう大阪でも誰も語っていません。そんなもんですよ。春団治は歌に歌われているけど、やっさんはそうなっていない
出典:デイリー新潮(8),澤田隆治(朝日放送プロデューサー)氏の証言
やしきたかじんとの違い
一方、(今のところ)功罪半ばの評価をされているやしきたかじん氏。
彼の「やっぱ好きやねん」は、今でも大阪環状線大阪駅の発車メロディになるほどに愛されています。
両氏が亡くなられたのは、たかじんが2014年、横山やすしが1996年。
没後年数に20年程度違いがあるにも関わらず、「伝説」が段々と形成されてきているのは、紛れもなくたかじん氏でしょう(正確には芸人ではなく歌手ですが)
・ぼったくりバーでビール小瓶2本を注文して5万円だったところ、「ぼったくりバーのクセに請求金額が少なすぎる」と逆にブチ切れ、説教して10万円払って帰った(4)
・太平サブローが吉本興業へ復帰する際、中村会長へ一緒に土下座した
・北新地のライブミュージシャンを「下手じゃ!」と殴り、勝手にストリートライブをやりだす。集まったチップ8万円をそのミュージシャンに渡して帰った(7)・小丸豊は「普段、情に厚く優しい人柄だったたかじんが周囲に人がいるとなったとたん、自分を誇示するかのように威張り豹変した」「車を運転している際もひとりのときはそんなことはないのに、同乗者がいると難癖をつけられ、自分の力を誇示するかのように後部座席から殴打される」「酔っ払っているときは恐怖でしたね、人が怒られるのを見るのもつらかったですね。あまりに理不尽な怒り方をしはるんで。うわー、次は自分にくるんちゃうかって恐怖がありました」(5)
・とにかく高級クラブでワインをガンガン飲み、店で倒れて朝まで眠っていたこともしばしばでした。アニキ肌ですが、寂しがり屋でいつも誰かと飲んでいました。女性にはマメで優しいから、めちゃくちゃにモテた。(6)
私も菅原神社のDF50型機関車を撮影に行く際に乗ったタクシーの運転士さんから、(真偽不明の)たかじん伝説を聞かされました。
この二人の差は何かと考えると、後輩や後世の人が評価する要素や人望が欠けていた点でしょうか。
具体的に言うと、自分勝手が許されるだけの愛情と厳しさ・優しさがなく、義が見えづらいところです。
どちらも暴力的かつ神経質だった点では似ていますが、2024年現在の評価は両氏ではっきりと分かれています。
晩節を汚す
評価がパっとしない一番の要因はこれかな。
度重なる飲酒運転や不祥事に業を煮やした吉本興業が、1989年4月に絶縁を宣言。
これ自体は至極最もな対応で、むしろこれまで20近い不祥事を起こしてもかばい続けた吉本興業が優しすぎるほどだったと思います。
この関係で、現在のテレビでは横山やすしの芸を見ることは一切なく、完全に芸能界やテレビからシャットアウトされた状態です。
(換言すれば、現代メディアで見ないからこそ客観的に評価できるということもありますが…)
多すぎる不祥事
先にも書いたように、彼はとにかく事件や不祥事が多すぎました。
・1970年12月…阪神高速のインター降り口でタクシー運転手への傷害事故、無免許運転が発覚
・1977年4月…タクシーの運転手と口論、車に蹴りを入れたことで告訴される
・1984年11月…吉本興業から無期限謹慎処分(番組に遅れたことによる)
・1987年12月…酒に酔った状態で片岡鶴太郎にくってかかる(大谷マネージャーのビンタで止まるものの、番組を降板)
・1988年10月…二日酔いを理由にテレビ番組をドタキャン
・1989年3月…吉本興業から「今度不祥事を起こした場合は即刻、専属契約を解除する」と最後通告
・1989年4月…酒気帯び運転でバイクと事故。これが決定打となり吉本興業を契約を解除
芸能人の不祥事には不可抗力のものもありますが、横山やすしについては全てが自業自得なものばっかり…。
そりゃ吉本も怒りますわね。
酔っ払いながら飛行機から降りてくるんですよ。そんな破天荒な人いますか? ただね、彼ほど愛すべき人はいませんよ。不器用過ぎただけで……
出典:デイリー新潮(8)
と、仲が良かった大村崑氏は擁護しているものの、不器用なんてええように言い過ぎで、遵法意識が低過ぎて自分に甘い。
飲酒運転に厳しい現代に生きているからこそかもしれませんが、法意識よりも合理性を重視する大阪人の私ですら、眉間にシワを寄せるレベルです。
本当に伝説となった人物
横山やすしと違って、本当に「伝説の芸人」となった方も挙げておきます。
桂春團治
関西芸人の伝説といえばやはり桂春團治でしょう。
ただ、桂春團治の破天荒伝説には出典がない半信半疑な情報も多く、真偽不明のものも比較的多く見られます。
・日東蓄音機協力のもと、本物の煎餅でレコードを作った
・寒い冬の夜、道頓堀に飛び込んだ
・艶笑噺(えんしょうばなし、性的話題を中心とした落語)をやる度に警官に睨まれ警察署に連行。毎回始末書と1円80銭の罰金を支払って釈放されることを繰り返す。しかしそれすら「宣伝になる」と気にもとめず、警官のほうが根負けした・自宅から寄席まで特注の真っ赤な人力車で通った
(但し、これは明確に嘘と否定されています)
藤山寛美
戦後の松竹芸能トップスター。
先述した桂春團治を演じたことで一躍人気芸人に上り詰めたこともあるのか、彼もまた春團治のような生き方をしていました。
・母親から「遊ばん芸人は華が無うなる」と言われ、それを守った
・バーのボーイに「チップとして」車のキーを渡し、自動車1台を与えた
・後輩の借金を肩代わりした
・「北の(南都)雄二かミナミの(藤田)まこと、東西南北藤山寛美」と称されるほどに、夜の街を豪遊して回った
坂田三吉
芸人とは異なりますが、彼もまた大阪が生んだ伝説の将棋指しです。
南禅寺の決戦で刺された「9四歩」が、後年漫画の「月下の棋士」の主人公、氷室将介が指す定番手として確立したり、戯曲「王将」のモデルになったり。
参考メモ
漫才の横山やすしは、生前、自分の知っている人間を敵と味方に分類してメモしていたそうです
出典:オアシスMSC「ろうさい : 労災保険と安全衛生 51(7)」、2000年7月、平沼直人(平沼高明法律事務所 弁護士)
関連リンク
参考文献
- デイリー新潮『横山やすしと兄弟盃の山口組幹部「食えない芸人のセーフティネットとしての反社」を語る』
- デイリー新潮『山口組兄弟分が明かす、横山やすし「吉本解雇後」最後の7年間』
- 企業年金連合会 編『企業年金 : 企業年金の未来を拓く専門誌』17(3)(221),企業年金連合会,1998-03
- 「週刊大衆」2014年2月3日号 p.52.
- Wikipedia「やしきたかじん」
- 日刊ゲンダイDIGITAL「やしきたかじん「酒とバラの人生」 北新地豪遊伝説の真相」
- Asagei plus「やしきたかじん 「“超”豪快伝説」を8人の著名人に直撃!(1)路上で「お前も歌え!」と…」]
- デイリー新潮「吉本問題で横山やすしが懐かしい…ヤクザと兄弟盃、無免許飲酒セスナ操縦の破天荒」
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