近年、線路内に入ったりする利己主義的な若年層ファンが増えています。
利己主義とは、「他がどうなろうとも、自分が得をすればそれでいい」というスタンスのこと。
これまでの日本の教育や価値観では、利己主義者は厳しく咎められてきました。
が、どうもここ最近は異なるような感じがしています。
譲り続けても良いことはない
利己主義は、道徳、倫理、秩序といった言葉とは対極にあるものです。
例えば、己の利益の為に行動することを咎められ、チーム全体の利益を優先するという滅私奉公という儒教的考え方があります。
しかしこれは、うつ病になる人や過労死する人を量産する社会になってしまいました。
譲ってばかりだと失い続け、しまいには死ぬ人までいる。
これを見てきた世代のリアルな肌感覚でそれを感じ、そして反面教師的な行動を見せているのかなと感じます。
鉄道会社側も厳罰的な行動に出ない以上、正直私らファンがあれこれ言っても響かないところはあります。
利己主義を捨てていい人になっても、何も得るものがない。
だから利己主義的に変化していっているのでは、と考えます。
利己主義者を作る役所
役所も、近年はアピールする人でないと助けないようになりました。
生活保護はその最たる例で、水際作戦などという馬鹿で違法な対応を行い、困窮した国民を苦しめています。(本来こういう役人には何かしらのコストを支払わせるべきだと思いますが、それはまた別の話。)
貧困層に利己主義者が多いのは、そうしないと生きていけないからです。彼らもなりたくて利己主義的になるのではなく、そうしないと誰も助けてくれないから。
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