Osaka-Subway.comや鉄道プレスなど、運営サイトにおける各種ソーシャルネットワークサービスアカウントでは、積極的にブロック機能を活用しています。
基準はまちまちですが、大まかには「誹謗中傷的発言が見られた場合」「将来的に悪影響を及ぼす場合」などが該当します。
これらのポリシーは、Twitter・Instagram・Facebookの他、YoutubeやTikTok、弊サイトコメント欄など、当サイト郡とコミュニケーションを行うあらゆるツールに適用します。
ブロックする権利
まず大前提として、当サイトにはブロックする権利があります。
「意見を聞き入れずにブロックされた!!」とレッテルを張る前に、まずは自分自身の行動を振り返って下さい。
批判に便乗して、誹謗中傷を行っていませんか?
誹謗中傷的な発言が見られた時
「意見を言う」ことは、誹謗中傷を言うこととは異なるものです。
このあたりを勘違いなさっている方が非常に多く見受けられます。
誹謗中傷とは、根拠のない悪口を言いふらし、他人を築ける行為とされています。
「キモい」などと性格を罵倒する、「足りない脳みそで考えな」など言動をバカにする、これら全てが誹謗中傷です。
一方で批判とは、客観的に見た良し悪しを、一定の根拠の元で評価することを指します。
悪影響をおよぼすと判断した場合
これは誹謗中傷とはまた別で、そういった発言はないものの、読んでいるとこちらに悪影響をおよぼすような内容が広く散見される場合。
人は思った以上に影響を受けやすいものです。
サイト運営の上で、こういう意見を見ているとこちらにも悪影響を及ぼしそうな場合はブロックしています。
口をふさぐ行為
意見ではではなく、何らかの圧力で口を塞ごうとする行為は即ブロック対象となります。
・発信する側が、放つ言葉ではない
・フォロワーの影響力を考えて発言すべき
こういった行為には、自覚・無自覚に限らず、相手をコントロールしてやろうとする姿勢が透けて見えています。
そもそも何を言うのも私の自由である、ということを忘れていませんか?
他の人を見ていて思うこと
自分だけでなく、第三者から見てもブロックすることには大きなメリットがあります。それは
・友好的なフォロワーに余計な心配をかけずに済むこと
・妙に意識して意味深な発言をしなくても良いこと
の2つ。
ネットでは、実際に中傷をしてるのは1000人の1人だけでも、まるで大多数に言われてしまったかのように錯覚しがちです。
自分の感情を害されて、それを弁護するようなRTばかりするのも何も知らないフォロワーからすると何事!?と思ってしまいます。
友好的に接してくれるフォロワーをそわそわさせないという役割もブロックにはあるなと感じます。
友好的な人には積極的に親しみを持って交流し、嫌味な人はブロック・ミュートを用いて徹底的にスルーしていく。これがSNS時代の処世術ではないでしょうか。
体感から
これは根拠がなく…、むしろ通例とは逆ですが、SNSにおいて単純接触効果は逆に働くこともあるように思います。
つまり接触させる余地を開いているほど、より悪意を持った相手は執着してくる。
だから初期の段階でバッサリとブロックしたほうが、中・長期的には良い影響をもたらすように感じます。
ブロックをする権利って言うと「誰もかれもやたらめったらにブロックする権利を持つ」って言ってるように(私は)感じちゃうのでよりネットオーナー的に言うなら「悪質な客をブロックすることで客を選ぶ権利」といった方が理にかなってるかなと思うんですがどうでしょう
オーナー=経営者 視聴者、閲覧者、フォロワー=客という思考で運営している私なりの考えですが