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「旧中環」という謎の道路について

皆さんカジュアルに「旧中環」と呼ぶ道路があるんですが、これは大阪府道2号線の細い道の方を指しています。

ルートはこんな感じ。

藤井寺にある小山交差点を起点として、八尾の南木本~木本~顕証寺~穴太を経て、中央環状線を突っ切り八戸ノ里・御厨を経由して門真インターまでの区間が南半分の旧中央環状線です。

北半分は、いきなり吹田市にある山田名神下交差点からスタート。

本流にいったん合流後、弘済院口交差点から分離して上新田で新御堂筋をくぐり、豊中市の桜塚交差点までという途中で分断を挟んだちょっとややこしいルートとなります。

 

ここが昔「大阪中央環状線」だったことが理由なんですが、何故か現在でも2号線の指定を受けており、「府道2号線」が混在する結果となっています。

体型的にこの「旧中環」をまとめているページが無かったので、この不思議な「旧中央環状線」道路について調べてみました。

旧中環の歴史

1954年(昭和29年):堺布施豊中線の制定

道路法第七条の規定に基づいて、昭和29年6月10日に府道に認定されます。

ここが旧中環と呼ばれる道路の始まりです。

整理番号14:堺布施豊中線

出典:「六ケ町村合併記念誌」に筆者が加筆

1957年の「六ケ町村合併記念誌」に掲載された茨田地区の地図を見ると、赤線部分が「堺布施豊中線(八尾茨木線)」と掲載されており、現在の旧中央環状線と一致します。

当時はここが「堺布施豊中線」と呼ばれていたことはわかった一方で、文献からは「中央環状線」と呼ばれていた事実は見当たりませんでした。

 

大阪府議会では、

道路環境課長(青木誠君) 旧府道の問題についてお答えいたします。
豊中市域の旧大阪中央環状線は、もとは府道堺布施豊中線という名称の都市間を連絡していた幹線道路でございます。昭和四十五年に大阪府域の大動脈でございます大阪中央環状線が完成しまして、広域的な交通機能はこの新しい中央環状線に移りましたものの、豊中市域の旧となりましたもとの大阪中央環状線は、なお骨格的な幹線道路としまして引き続き府道の機能を受け持つものでございまして、現在でも一日に一万台以上の交通量がある路線でございます。

一般に、バイパス整備に伴い交通量が大幅に減少するなど府道としての機能、効用が大きく減少しました旧道は市町村に引き継ぐ対象としておりますが、この豊中市域の旧大阪中央環状線につきましては、その方針に該当しませんため、市に引き継ぐ予定はございません。

と言及されていることから、

元は「堺布施豊中線」

どこかのタイミングで「中央環状線」が用いられた?

1970年に本流が開通し、現在の「旧中央環状線」になった

という事実が読み取れました。

中央環状線の本流の歴史

ここまでは旧中央環状線の方を紹介しましたが、現在本流となっている大阪中央環状線はどうでしょうか。

昭和初期:「十大放射路線」の制定

大阪府における道路交通計画の始まりは、昭和初期~14年にかけて立案・施工された「十大放射路線」に始まります。

この十大放射路線とは、大阪市を中心とした道路のことで、

・国道16号線(大正国道、現在の国道26号線)
・阿倍野堺線(天王寺堺線)
・大阪生駒奈良線(現在の府道8号線)
・大阪枚岡線(現在の府道702号線)
・住吉大阪線
・国道二号線(京阪国道、現在の国道一号線)
・大阪吹田線(現在の府道14号線)
・大阪池田線
・大阪伊丹線(現在の府道41号線)
・伝法尼崎線

の10経路が指定されたことに始まります。

この時点ではまだ大阪中央環状線の存在はありません。

 

1960年(昭和35年):「十大放射”三環状線”」を制定

自動車の増加が激しくなり、更に渋滞が予想されることから、昭和33年に従来の十大放射線に「三環状線」を加えた計画が追加・検討されました。

【十大放射線】
・第二阪神国道(東住吉区~西淀川区)
・大阪池田線
・御堂筋線(現在の新御堂筋)
・十三高槻線
・大阪上野線
・築港枚岡線(現在の中央大通)
・名阪道路
・大阪千早線
・松原泉大津線
・第二阪和国道

【三環状】
・大阪内環状線
・大阪中央環状線
・大阪外環状線

この三環状線とは言うまでもなく「内環状線、中央環状線、外環状線」で、ここでようやく中央環状線の名称が登場します。

昭和35年(1960年)に計画を策定し、順次進めていくことになりました。

 

1962年(昭和37年):大阪中央環状線の建設開始

現在の”本流”の方である大阪中央環状線は、昭和37年度より事業着手に入りました。

この当時で既に幅員120mの世界最大級の道路を想定しており、昭和42年度までに

・吹田IC~金物団地
・長吉長原東(長居公園通交点)~松原IC
・美原JCT~金岡住宅団地(現在の新金岡)
・一条通~大浜北町(国道26号線交点)

が完成するスケジュールが組まれていました。

色々な矛盾

…と、ここまではわかったものの、旧道がどの程度の期間「中央環状線」と呼ばれていたのかはわからずじまいでした。

Wikipediaでは「大阪府道14号堺布施豊中線から1965年に大阪府道23号大阪中央環状線へ改称」となっているものの無出典です。

 

このことを鑑みると現在旧道と呼ばれる方は、せいぜい1965~1970年のわずか5年間だけ中央環状線と呼ばれていたことになります。

 

1969年の「昭和大阪市史」では、既にこの時点で旧中央環状線(旧堺布施豊中線) と記されていることから、少なくともこれ以前だけの名称であったようです。

 

大阪府の公的資料でも「旧中央環状線」と書かれるほど知名度があり、「13号線」並みに謎が多い旧中央環状線。もう少し調べてみようと思います…。

 

参考文献

  1. 「都市計画からみた大阪中央環状線と御堂筋線」,大阪府土木部幹線課,1968年6月
  2. 「昭和大阪市史 続編 第5巻 (経済編 下)」,1969年
  3. 大阪府議会『大阪府 平成21年8月~平成22年12月まちづくりにおける市町村との連携のあり方調査特別委員会 09月14日-03号』
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