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「抄録長居付近」という地域コミュニティ紙があった?

鶴ヶ丘や長居周辺の調べ物をしている際に、ちょこちょこ目に留まった「抄録長居付近」という文字。

どうも地域コミュニティ新聞のようなのですが、ネットに全く出てこないので簡単に調べました。

 

地域新聞?

この「抄録長居付近」の発行人は宮岸 昭良 氏。

長居東にある長居幼稚園の北側で「みきや」というパン屋さんを経営されていて、その傍らで地域コミュニティ誌を作られていたようです。

地区の人たちにとって身近な問題を知らせてあげようーと仕事のひまを見ては一人で取材から編集、配達までして、無料で住民新聞を発行しているパン屋さんがいる

出典:朝日新聞大阪版,1965年12月15日

 

その歴史

最初は「新聞みきや付近」として創刊。パン屋さんのPR紙兼、地域事情を伝える新聞でした。

第一号の記事は「少しずつ明かるくなる道路」と題し、東長居(現在の長居東)周辺で道路の舗装が始まったことを伝えるものでした。

発刊のことば

この「新聞・みきや付近」は、この町の、ある小さな食品店のPR紙でありますが、しかし決してPRのみを主眼としているものではありません。(中略)

記事としては「みきや」およびその「付近」に関係のあることを、出来る範囲内で、あるいは能力の範囲内で、とりあげて行きたいと思います。

出典:『新聞・みきや付近 (1)』

 

翌々年(1965年)には「新聞長居付近」と改名。

この理由については、マスコミなどで取り上げられて認知度が上がり、パン屋のPR誌からより公的立場になったことを踏まえてのものと説明されています。

しかし、1974年4月をもって廃刊。理由については印刷代の高騰や後継者問題?があるようですが、今一つ何を言いたいのかよくわかりませんでした。

 

1975年10月、母体だった「みきや」がタバコ店として復活するにあたり、チラシ代わり名目で発行を再開。この時から「抄録長居付近」となりました。

あくまで「みきや」の経営が主で、本格的な取材活動などは出来ないことから、簡易的な意味の「抄録」を題した…と説明されています。

 

その後は、1975年~2001年6月まで25年近く刊行されていた様子が伺えます

 

年表

1963年4月10日…「新聞みきや付近」として創刊。発行部数3000部
1965年4月1日…「新聞長居付近」と改名
1967年…パン屋の「みきや食品店」が廃業。奥様の体調不良(スライサー使用時の右腕酷使)が原因
1971年10月…発行部数が5000部に
1972年5月…「長居苅田誌ニュース」を月刊で新規刊行。24号まで発行される
1974年4月…廃刊
1975年10月15日…「みきや」がタバコ店として再開
1975年12月…「抄録長居付近」として発行再開
1978年4月…発行部数が7200部に(7000部を日刊新聞に折り込み、200を官公庁やスポンサーへ配布)

 

関連リンク

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参考文献

「抄録長居付近」各種号

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